その他は、四国にも九州にもいまのところ見当らぬそうで、箱根サンショウウオというのが関東地方に棲息して居りますけれども、あれはまた全く違った構造を持っているもので、せいぜい 蠑 ( いもり )くらいの大きさでありまして、それ以上は大きくなりませぬ。 何も別にお話する程の珍らしい事もございませぬが、(こんなに気取らないと、いい先生なんだが)本当に、いつもいつも似たような話で、皆様も(誰もいやしない)うんざりしたでございましょうから、きょうは一つ、山椒魚という珍動物に就いて、浅学の一端を御 披露 ( ひろう )しましょう。 探検!京都大学|京大先生図鑑 趣味の古代論者、多忙の生活人に 叱咤 ( しった )せらる。 だいたい日本のどの辺に多くいるのか、それはあのシーボルトさんの他にも、 和蘭 ( オランダ )人のハンデルホーメン、 独逸 ( ドイツ )人のライン、地理学者のボンなんて人も、ちょいちょい調べていましたそうで、また日本でも古くは佐々木忠次郎とかいう人、石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の 郡上 ( ぐじょう )郡に 八幡 ( はちまん )というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はいる、という事にただいまのところではなっているようでございます。 毎年、ちょうどその頃、湯村には、 厄除地蔵 ( やくよけじぞう )のお祭りがあるのだ。 けれども、私は、いつの日か、一丈ほどの山椒魚を、わがものにしたい、そうして日夕相親しみ、古代の雰囲気にじかに触れてみたい、深山幽谷のいぶきにしびれるくらい接してみたい、 頃日 ( けいじつ )、水族館にて二尺くらいの山椒魚を見て、それから思うところあってあれこれと山椒魚に 就 ( つ )いて諸文献を調べてみましたが、調べて行くうちに、どうにかして、日本一ばん、いや日本一ばんは即ち世界一ばんという事になりますが、一ばん大きな山椒魚を私の生きて在るうちに、ひとめ見たいものだという希望に胸を焼かれて、これまた老いの物好きと、かの貧書生(ひどい)などに笑われるのは必定と存じますが、神よ、私はただ、大きい山椒魚を見たいのです、人間、大きいものを見たいというのはこれ天性にして、理窟も何もありやせん! (本音に近し)それは、どのように見事なものだろう、一丈でなくとも六尺でもいい、想像するだに胸がつぶれる。 そうして口が大きくなって、いまの若い人たちなどがグロテスクとか何とかいって敬遠したがる種類の風貌を呈してまいりますので、昔の人がこれを、ただものでないとして 畏怖 ( いふ )したろうという事も想像に難くないのであります。 早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な 格子縞 ( こうしじま )のハンチングであるが、先生には少しも似合わない。 先日私は、素直な書生にさそわれまして(いやな事を言う)井の頭公園の梅見としゃれたのでありますが、紅梅、白梅、ほつほつと咲きほころび(紅梅は咲いていなかった)つつましく 艶 ( えん )を 競 ( きそ )い、まことに物静かな、仙境とはかくの如きかと、あなた、こなた、夢に夢みるような思いにてさまよい歩き、ほとんど俗世間に在るを忘却いたし(親子どんぶり、親子どんぶり)ふと眼前にあらわれたるは、幽玄なる太古の動物、深山の(言うという字に糸二つか) 巒気 ( らんき )たゆとう尊いお姿、ごそりごそりとうごめいていました。.
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